2015年9月12日(土)
軍艦島に行ってみたい、から始まった今回の旅。
世界遺産に登録されたからというのはもちろんあるが、
台風がきたりすると徐々に崩れていって
見学できる場所がだんだん縮小されているという話を聞いたから
ますます見れるうちに行かなくては!と思ったのだ。
もしかしたら5年後、10年後には上陸できなくなっているかもしれない。
無人島にはそんな側面も付きまとう。
そして軍艦島を調べる過程で知った「池島」
軍艦島同様に元炭鉱の島だ。
旅の最終日は池島へ向かう。

実は港へ向かうバスを乗り間違える、といったハプニングが。
運転手さんに相談したところ、他のお客さん(私以外に一組だけ乗っていた)に許可を取ったうえで、乗り継ぎに間に合うように少しルートを変更してくれたのだ、
長崎バスの運転手さん、本当に感謝!!
大瀬戸からフェリーに乗って30分ほど。
今回の旅は本当によく船に乗っているなぁ。

見えてきた。軍艦島よりはだいぶ大きな島。
炭鉱は2001年に閉山した。
島の一部が廃墟・廃工場となっているが、暮らしている人もまだいる島だ。

最盛期には7500人以上が住んでいたという。
大きな集合住宅がいくつも建っている。

今はスーパーはないが、週に数回移動スーパーがやってきて、島の暮らしを支えている。

港にはブイを使ったオブジェがあった。

生鮮以外の日用品を売るお店が2軒、今も営業している。

動きを止めた工場。すごい迫力だ。

運搬に使っていたのだろうか。
トロッコの軌敷。

大きな機械がいくつも残っている。





今回の旅で唯一の記念写真?
一人旅だとこうなることも多い。

海の方へ向けて、何かを運んでいたのだろうか。

人工の構造物を蔦が徐々に覆う。

大きなアパートもほとんどの部屋にはもう人が住んでいない。
現在は住民票上では100人程度、実際に住んでいる人はもっと少なく50~60名だという。
ほぼ全員が年金暮らしの高齢の方だそう。

郵便ポストは現役で働いてる。
島を歩いていたら、路地で猫と遊ぶ女の子が。


島で唯一の食堂、「母ちゃんの店」
女の子はここのお孫さんだそうだ。
ちょうどお昼時だったので、中に入る。

壁一面に訪れた方の寄せ書きが。


注文が出来上がるのを待っている間、一緒に遊んだ。
宝物のプリキュアを見せてくれた。
島内には学校がないので、彼女も小学校に入る年には島外に引っ越すことになるそうだ。

ランチに頼んだのはトルコライス。
長崎県のご当地グルメ。
ボリューム満点で美味しかった!
食べ終えて、女の子にもさよならして、島の奥の方へ向かう。

第二立杭へ向かう道。
かすれた看板の「御安全に」の文字。
この地で何百回、何千回も「御安全に」のコトバが交わされてきたのだろうことを想像する。

9月の空には鱗雲。
変わらない空の下、変わってく島の暮らし。

炭鉱職員の社宅だったという場所。
斜面に立っているので、入口は4階だ。

日本で初めての8F建て、当時は高層アパートと言われていたそうだ。

バス停。今も1日1本、バスが走る。

中央会館。
島には宿泊施設はないけど、予約すればここに泊まることができるそうだ。

小学校。同じ建物に中学校もあったそうだ。


学校の前の道。
この道を校門に向かって、生徒たちが駆け下りてきたのだろうか。

校庭にはナイター用の照明設備もあって、規模の大きな学校だったことがわかる。
学校の裏手、島の一番奥の方へ向かう。

そこには鳥居が。
島の鎮守の神様だ。

神社の脇の道を登ると見晴らしがよいと、公民館のおじさまに教わったのだが、
猪除けの罠があるらしくて、ドキドキ。
急な坂をひたすら上がっていく。

私の身長がもっと高ければ、きっと景色を楽しめたのでしょう。
目いっぱい上に手を伸ばして撮った写真がこれでした・・・。

下ってきてから振り返る。
丘の上にある、タンクの横あたりまで行ったのだ。
島にいられる時間もあと少し。
再び、廃工場の方へ向かう。
