再びの気仙沼旅③ 気仙沼大島へ

2021年1月11日(日)
6時半ごろに起床。
窓から気仙沼湾を眺めると、ちょうど日の出だった。

外は氷点下、蒼かった空にオレンジ色の光が射して、どんどん日が昇っていく。

明るくなった頃に、着替えてから朝食を食べにいく。
ホテルの無料サービスだけど、子持ちメカブがあったりして美味しかった。

チェックアウトをして、フェリー乗り場のほうへ向かう。駐輪所に自転車を止めたら、まだ時間があるので周辺を少し歩いてみることに。

男山や蒼天伝を造っている男山本店。
これは国の登録有形文化財にもなっていた本社で、元は3階建だった建物だが、1階部分が津波で消失した。
ただ、蔵は門の数メートル手前で津波が引いたため、助かったという。

男山からほんの十数メートルの距離にある、角星の本社。
昨夜飲んだ水鳥記もここのお酒だ。角星も男山と同じく、登録有形文化財だった建物。
こちらも製造所はもう少し山側にあるため、造りは続けられていると言う。

きっと歴史ある建物が並ぶ一角だったんだろうな。
町並みが再建されて、それも観光名所になったらいいな、と思う。

フェリーの時間が近づいてきたので、乗り場へ向かう。

気仙沼港から気仙沼大島までは約20分

魚市場が見えた。この日は日曜なのでお休みだが、平日の朝は水揚げの様子が見学できるそうだ。

大島について、フェリーを降りると、びっくりするぐらいの強風。
耳元で風がびゅんびゅん唸って、周囲の音が聞き取りにくいほどだ。

しばらくすると、昨日約束した観光課のUさんが現れた。
車に乗せてもらうと、後部座席には小学生のお嬢さんとそのお友達が。
挨拶をして、軽く自己紹介をする。

Uさんが運転をしながら、震災当時のことを話してくれた。
気仙沼大島はひょうたんのように真ん中がくびれた形をしている。
震災の時には、そのくびれた部分に両側から津波が押し寄せてきたそうだ。
さらには壊れた船やタンカーの燃料が海に漏れて、そこに火が移り、気仙沼湾は一晩中燃えたという。
山の上のほうに避難して、燃える湾を見ながらの一夜はどれだけ恐ろしかったことだろう。

最初に向かった場所は亀山。標高は235m。
亀山にはロープウェーで登れたのだが、その津波で壊れてしまい再開は決まっていないと言う。

途中まで車で上がり、そこからは遊歩道を歩いていく。
てっぺんまでくると、視界にぐるりと360°の絶景が広がる。
牡蠣や海苔の養殖をしているのも見えた。

記念写真。撮ってもらった。

少し行ったところに小さな祠があり、おみくじがあった。
1枚ひいてみると、大吉!!

強風で、すっごく寒いので、あまり長居せずに次へ。
山を下り、中腹あたりでわき道へ入っていく。しばらくいったら車を降りて、またまた山道を今度は下って歩くこと15分程度。

後姿が案内してくださったUさん。

雑木林を抜けると、冬の東北とは思えないような景色だった。

十八鳴浜(くぐなりはま)。白い砂にエメラルドグリーンの海。
そして、ここだけ別世界のように風が穏やかだった。

地形の関係で、ここはあまり風も強くならず、波も荒くないそうだ。

震災の後もないわけではないが。

乾いた砂のところを歩くと、キュッキュッと鳴る。鳴き砂といわれるそうだ。

しばらく遊んでから、また車へ戻る。
山道を登りながら聞くと、鳴き砂は汚れてしまうと鳴らなくなるので、車が近くまで入れないようにしてあるんだとか。

次に向かったのは小田の浜。

夏には海水浴場として、にぎわうそうだ。
震災の1年半後の2102年の夏には海開きしたと言う。地元の方々のそれだけの努力があったんだろう。

最後は大島の南端の龍舞崎。

松林の間から望む、岩礁とダイナミックなしぶきを上げる波。

そして結構な高さから見ているにも関わらず、水底の石が見えるほどの透明度!!

震災時の津波到達点が記録してあった。

車でまた港まで送ってもらう。
気仙沼の津波が3~4mと、近くの陸前高田や石巻よりも低かったのは大島があったからともいわれているそうだ。その分大島への衝撃は大きかったのだろう。

港に到着して、今度は違う季節においで。また案内するからと、言ってくれた。
お礼を言って、フェリーに乗り込む。
自分ひとりでは行くことのできなかった場所、聞くことのなかった話。
本当にありがたくて、充実した時間だった。