再びの気仙沼旅④ また、行くね

フェリーが気仙沼港へと到着する。

お昼ごはんにしようと決めて、また南気仙沼方面へ向かった。
昨日気仙沼駅前で自転車を借りたときに、対応してくれた方がお勧めしてたお店へ。

福幸小町商街にある「らいむらいと」というラーメン屋さんだ。

塩バターチャーシュー麺にした。ほっこりと優しい味がした。

食べ終えてからお土産を買いに、昨日行ったシャークミュージアムへと向かって自転車を漕ぐ。
建物のない、かさ上げ工事中の景色の中スーツ姿の若者が4、5人歩いていた。
すれ違いのときにスピードを落として路肩に寄ると、軽く会釈して通り過ぎていった。
さらにその数分後、今度は振袖姿の女性が何人か見えた。

そうか、成人式だ。

成人の日は翌日だけど、地方では出席しやすいように連休の中日に式典をやるところも多いと聞く。
気仙沼市内には高校までしかないから、進学や就職で故郷を離れる人も多いのだろう。
晴れの日の装いで、懐かしい仲間と会った二十歳の目に、故郷の景色はどう映るのだろう。

シャークミュージアムの1階でお土産を買ってから、再び海沿いへと向かった。
時刻は14時半過ぎ。震災からちょうど3年と10ヶ月。

偶然にも1月11日は、私にとって大切な人の命日だ。
嫌でもいのちについて考えさせられる日に、気仙沼で海を見ている。
何の巡り会わせだろう。
6年前のこの日、訃報を聞いてからのしばらくは、正直あまり記憶がないのだ。
仕事もしてたし、食べて眠って生活はしていたはずなのだが、霞がかったような日々だった。
大切な人を失うというのはこういうことか、と後から思ったっけ。

震災でのなくなった方の数だけ、そんな思いをした人がいるということだ。
以前に、ずっと女川で支援を続けている友人が言っていた。
震災は数万人の人が亡くなったひとつの出来事ではなく、一人ひとりが犠牲になった出来事が数万回起こったということだと。

体験したわけではないけど、想像でしかないけど、
考えても何の足しにもならないけど、それでも想う事をやめたくはない。

晴れ渡った港で、そんな時間だった。

仙台へ戻るバスまであと1時間程度、駅のほうへ自転車を走らせる。
小腹が減ってきたので、またま仮設説商店街へ

揚げたてコロッケ。注文してから、揚げてくれる。
ほおばりながら、ビールを飲んだ。自転車は押していけばいいさ。

お店のおばちゃん曰く、仮設商店街の土地を借りれる期限がもうあと少しで切れてしまうのだとか。
商店街みんなで移れればいいけど、そうもいかない。移転するにも費用もかかるからね、と言っていた。
もうすぐ4年だけど、現地に行ってみて復旧は進んできているけど、復興はまだまだ何年も何十年もかかるんだと実感した。

また、来ます。と言ってお店を後にする。
社交辞令じゃなくて、ホントだから。

自転車押して駅前へ戻り、観光協会に返却。
しばらくして来たバスに乗り込み、仙台へと向かった。

2時間半程度で、仙台へ到着。
思ったより早いので、軽く飲もうとお店を探す。

タバコ屋さんの一角で飲んでいる人たちを発見。角打ちのようだ。
カウンターの隅っこに混ぜてもらい、日本酒をいただく。

どこから来たのと話しかけられ、東京からで気仙沼に行ってきましたと答える。
そうか、月命日だね、と他のお客さんが言う。
20代半ばくらいの、とんがったファッションの男性の口から、月命日という言葉がさらりと出てきたことに少し驚く。
東北と、東京の被災地との距離感の違いのようなものを感じた。
どちらがいい悪いではなく、その人のいる場所・立場だからできることを探していけたらなと改めて思った。

もう一軒寄って、夜ご飯をいただき、11時過ぎの夜行バスで東京に戻った。
2015年1月12日(月) 5時半頃、東京駅に到着。

撮った写真を見ながらつぶやいた。
また、行くね。