福江港を出て3時間、長崎港に船が到着した。
まずは腹ごしらえ・・・と言うことで長崎ならではの皿うどんを食べに。

桃華園という中華屋さん。
繁華街ではなくオフィス街の近くなので、まわりは会社員らしき人でいっぱい。

さらうどーん!麺がパリパリのタイプが大好きなのです。
カウンターの上にお酢がないのに少し驚きつつ、回りの方に倣ってソースで食べる。
これも旨い!!
結構な大盛りだったけど、完食。
隣のサラリーマンに二度見されたが気にしない。
いったん今日の宿に向かう。
チェックインはまだだけど、荷物を預かってもらう。
身軽になったところで向かったのは、ある意味今回の旅の最初に決めた目的地。

軍艦島クルーズ。
世界遺産に認定されてから、満席の日が続いていて最初は予約が取れなかったんだけど、
しつこく予約サイトをチェックしてたら、キャンセルが出ていて滑りこめたのだ。

こんな船で行きます。思ったより小さい。
1Fも2Fも人がぎっしり。私は2Fへ。屋根がないので日差しをもろに浴びる。
日傘は危険なので禁止。帽子をかぶっているんだけど、強風で飛びそうだ。
長崎港を出航すると、まずはいくつか船から見える世界遺産を説明してくれる。

カンチレバークレーン(だったかな?)

造船所。現在は豪華客船の補修中だとか。

女神大橋をくぐり、

岬のマリア像に見送られて、まずは端島(軍艦島)の手前の高島へ。

三菱の創業者、岩崎弥太郎の像。

高島には端島(軍艦島)の模型があり、ここでガイドの方が島の全体像を説明してくれた。
端島は炭鉱の開発のために小さな島だったのを、何度も埋め立てを繰り返してつくられた島だ。
形が軍艦の「土佐」に似ていたことから軍艦島と呼ばれるようになった。
小さな中に学校や病院、映画館や神社もあり生活に必要なものは一通りそろっていた。
当時の東京の9倍の人口密度で、日本最初の鉄筋高層アパートが建てられた。
エネルギーの主流が石炭から石油に移ったことで、昭和49年1月に炭鉱が閉山となり、
その年の4月には無人島になった。
説明を受けてから、またまた船に乗り外洋へ出る。
1年通してもこんなに揺れないのは珍しいほど穏やかだといわれたが、それでもそれなりに揺れる。

やがて、太陽の光を受けてぎらぎら輝く波間に、端島の姿が見えてきた。

本当に戦艦のようだ。

波が高かったり、風が強いと着岸できないこともあると聞いていたが、問題なく着岸。
ひとりずつ桟橋に降りてから見学通路を進む。

説明してくれたガイドの方。
説明を受けてると、廃墟の島も昔は確かに人の生活があったんだと言う
事実を思い知らされる。



灯台だけは閉山してから建てられた。炭鉱が稼動しているときは3交代で24時間灯りがついていたから、灯台は必要なかったんだとか。



学校のプールだった場所。かすかに白線が見える。
真水が貴重だった島では、プールの水は海水だったそうだ。

炭鉱へと向かう階段。
ここを上り、足場だけのエレベーターのようなもので炭鉱へ降りていくそうだ。
屈強な男でも気を失うこともあるほどだったという。
階段を上って炭鉱に入り、過酷な仕事をする。
仕事をおえて階段を下りるとき、心底安堵したそうだ。無事に戻ってこれたと。
地下1000m、気温30度、湿度95%、いつ爆発や火災が起きるかもしれない状況での炭鉱の採掘。
炭鉱の中で命を落とし、自分の足でこの階段を下りてこられなかった人も少なくはなかったという。
周りの建物が朽ち果て崩れていく中で、この階段だけが崩れずに残っている不思議は、
もしかしたら炭鉱で働いていた人たちの念のようなものがこもっているからじゃなかろうか、そんな気がした。




コンクリートで覆われた人工の島に、植物は育たなかった。子供の教育のために、と屋上に土を運んで、花や野菜を育てていたと言う。
今は、廃墟となった島を植物が徐々に覆い、虫と鳥だけが自由に飛びまわる。

廃墟写真とか、世界遺産とか、話題になっているからこそ、ガイドの話に耳を傾けて
島の歴史を知ってから見ると、また違って見える。
見学ツアーで滞在できるのは40分程度、慌しいけど行ってよかった。
